財産を守るか、たったひとつの悪を受け入れるか。

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最近話題になっている事で、俺の価値観に違和感を憶えている。


この記事は約3分で読めます。

長い年月をかけて積み上げてきた功績が、たったひとつの悪により全てが台無しになってしまうこと。
人間的感情からするとそれはよくあることだが、俺はそう思わない。
誰にだって間違いを犯すことはある。人間だから。
俺だってそういうこともある。逆に俺にそういう仕打ちをしてしまった人もいる。
でも、それは足し算引き算だと思っていて、その人に対する評価から様々な審判が下されるのが平等だと思っている。

何が悪なのか、それは法律によって定められている。
他者へ害を与える行為を犯したら、もしくは犯す要素のある行動をとっていたら、法で裁かれる。
それは正当であり、素晴らしい真っ当なシステムだと思う。

ただし、俺はあくまで法律は指針であって、結局はその事象に対して、物を見て考えなければいけないモラルに関係してくるものだと思っている。
法律は神様が決めたものではなく、同じ人間が決めたものだから、罪の重さをその都度考えなくてはいけない。
そのために裁判がある。これもいいシステムである。
専門家がすべての状況を把握し、判決を下す。
納得のできる形だと思います。

さて、それでは俺は何に違和感を感じているか。

まず、罪を犯したというレッテルを指差す世論が多すぎる。
それを指差したことによって、さきの未来はどうなるのか想像しているのか。
これは本当に不思議なもので、その大きな声に従ってしまう世の中。
誰に向けて謝ってんの?

処分はすでに下された。
当事者たちがこれからするべきことも決まっている。

問題はそのあと。

世の中に影響を与える人だから、大正義じゃないといけないという精神を持ちすぎじゃないか。
社会的制裁を与えるかたちに誘導し「よし、これですべての悪が絶たれる」とでも思っているのか。
世の中はすこしグレーな部分があるから成り立っているってわかるよね?
そういった仕組みを何も考えていないね。
ただ、目の前にある悪が潰れればいいと思っているだけだろう。今後も罪を繰り返さないようにと。
残念ながら、罪の重さを決めるのは世論じゃないんです。

生きていくことでストレスで嫌なことはある。
でもその納得のいかない負荷を乗り越えてこそ、拓ける未来があるかもしれない。
だから法律では罪の重さによって、課せられるリスクに種類があるんだ。

でもね、世論が結局納得することなんて何をしたってないんだ。
世論の審判の指針なんてない。
その時の環境や情勢で誰かもわからないやつの感情が判断するもの。
どんなアクションをしたって、見る人がいればそれに反応してしまう。
すべて空回りになってしまう。
もうね、とりあえず今の日本は大嫌いです。
なにか夢を見すぎていませんか?

そして、一番思ったことは、
当事者は・・・・
いや、もうTOKIOって言ってしまえ。
TOKIOは社会の大人としての対応ではなく、個人の人間的な行動を取ってもらいたい。
それが人であるべき自然な行動だと思っている。

最後に言いたいのは、バンドやりたいんだったら、思う存分やればいい。
音楽をすることと、今回の罪は全く関係ない。

性格に問題がある人物が奏でる音は不誠実?
今までの長い年月やってきた活動は、実は不誠実だったわけではないよね。

リスナーが聞きたいなら聞く、バンドが演奏したいならする。
シンプルにそれでいいんだよ。
これまで音楽を軸に頑張ってきた人たちが、
絆というかけがえのない財産よりも、
仕事に直結する経済効果のことを気にするところが俺には納得できなかったんだ。

俺は『フラれて元気』をリリースした頃からTOKIOの楽曲が好きです。
デジタルが普及するくらいまではシングルは全て揃えていたくらいです。
バンドで演奏もしました。
『LOVE YOU ONLY』だと思ったら、違います。『みんなでワーッハッハ!」です。
それくらい好きだったグループだったので、本当に悔しい出来事だと思っています。

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